2017年5月20日、「第1回メディアと表現について考えるシンポジウム『これってなんで炎上したの?』『このネタ、笑っていいの?』」が、東京大学福武ホールB2F・ラーニングシアターにて開催された。
登壇者は、大澤祥子氏(ちゃぶ台返し女子アクション)、加藤美和氏(UNWOMENアジア太平洋部長)、小島慶子氏(エッセイスト)、白河桃子氏(ジャーナリスト)、竹下隆一郎氏(ハフポスト日本版編集長)、田中東子氏(大妻女子大学)、羽生祥子氏(日経DUAL編集長)、緑川由香氏(弁護士)。司会は林香里氏(東京大学)が務め、セクシュアリティーをはじめとしたマイノリティーに関するメディア表現について、さまざまな角度から議論が行われた。
メディア表現を取り巻く環境の変化
放送局で15年間の勤務経験がある小島慶子氏は、テレビにおいて言葉の暴力が無自覚に繰り返されてきたと述べた。アナウンサー時代から、制作の現場で容姿や年齢、セクシュアリティー、国籍、未婚/既婚などによる差別が“笑いのネタ”として扱われるのを見て、違和感を覚えてきたという。
かつてメディアには発信者としての特権が許されてきたが、視聴者が多様性への理解を深め、また発信者の一人となった今、メディアも異なるコンテクストで自らの表現がどう受容されるかを意識すべきである。さまざまな立場の人が心地よく生きるためには、対話を継続することが重要だと説いた。
ネットメディア「ハフポスト」日本版編集長の竹下隆一郎氏は、同媒体の記事から初めに昨今の炎上案件を紹介した。
2016年9月、鹿児島県志布志市が名産品である養殖うなぎを水着姿の少女「うな子」として擬人化した動画をアップ。性差別的で児童買春を助長する表現だと、海外メディアまでもが批判的に報じた。2017年5月には、ユニチャームのおむつ「ムーニー」のウェブCM「はじめて子育てするママへ贈る歌」が、いわゆるワンオペ育児を肯定的に捉えたとして炎上している。
差別表現に対して声を挙げる側と、広告やテレビ番組の制作側には分断があると竹下氏は指摘。そのうえで、前出のユニチャームへの取材では分断を越えた対話が生じ、生産的な議論につながったと述べた。
ジャーナリストの白河桃子氏は、地方自治体の広告表現に潜む差別意識について解説した。地方自治体のPRキャラクターによく見られるのが、前出の鹿児島県志布志市の「うな子」、三重県志摩市の「碧志摩メグ」のような過剰に性的な女性像だ。婚活や妊活、子育てに関するパンフレットなどには、女性は家庭、男性は労働という性的役割分担を助長する表現が頻出する。
これらの広告は、民間企業のそれと同様、広告代理店や大手メディアによって悪気なく作られるが、自治体という立場で税金を使って制作されるがゆえに厳しい視線にさらされやすい。白河氏は、各県庁の男女共同参画の担当部署と協業したり、制作側でチェック機能を持ったりといった改善案を提示した。
子育て世代のためのウェブマガジン「日経DUAL」編集長の羽生祥子氏は、2つの視点からメディア表現の問題点を指摘した。
1点目は、テレビでの“笑い”が子どものいじめに影響していること。いじめ問題の専門家によれば、特に男子はウケを狙っていじめをする傾向にある。子どもは身近なメディアであるテレビから、人気を獲得する手段としてのマイノリティー差別を学んでしまっているのではないか。
2点目は、アダルト広告が蔓延するなど、男性がマジョリティーであるネットの世界には、強い性差別意識が潜んでいることだ。羽生氏は、メディアの制作者たちの多くはそれに慣れきっているとして、マジョリティーとマイノリティーの立場を試験的に置き換えて表現を考えてみてはどうかと提言した。
メディア表現を受容する社会、そして公共圏の変化
UNWOMENアジア太平洋部長、地域所長の加藤美和氏は、2010年以降の国際的な問題意識について解説した。
2010年、国際連合では性的マイノリティーへの差別問題解消が俎上に上げられた。すべての人に関わるからこそ議論されてこなかった分野だが、当たり前のなかの差別構造こそ見直すべきとされたのだ。同年12月には、国連事務総長が「文化的な意識と普遍的人権の間に緊張がある場合には、人権を優先させるべき」と発言し、それを受けて2011年6月には人権委員会がLGBTに関する決議を初めて採択。その後も2度、採択されている。
日本においても女性への性差別に対する意識が高まる中で、よりオープンな議論ができ、個々がエンパワーメントできる社会作りは課題だと言える。
多様性のある社会を目指し草の根運動を展開する「ちゃぶ台返し女子アクション」の大澤祥子氏は、当事者が声を挙げる行為について考察した。
性的同意の重要性について学ぶ同団体の企画「同意ワークショップ」では、いかに日々ジェンダー規範の刷り込みが行われるかが浮き彫りになる。日常会話やメディアを通して差別意識が再生産されるならば、違和感を見過ごさず言葉にすることこそ差別への抵抗となるのだ。
そして当事者の声を波及させるためには(1)当事者自身が自分の経験から、なぜ訴えを起こしたか説明すること、(2)具体的な変化を求め続けること、(3)当事者同士がリアルでつながり、個人の訴えを「市民の声」に昇華していくことの3点が必要であると述べた。
大妻大学の田中東子氏は、専門であるメディアにおけるジェンダー研究の現在について解説した。
オンライン空間では、性差別的なアダルト広告が蔓延する一方で、女性のディストピア的な現実を美化した企業広告がSNSを中心に炎上してもいる。女性たちにとって、SNSは重要な公共圏であり、炎上とはメディアが行使する強力なイデオロギーに抗うためのわずかな闘争の手段なのだ。
ただしSNSの議論には、爆発的に白熱し、また瞬間的に忘却されるという特性がある。ジェンダーの視点から広告批判が起きた最初例である企業広告「私、食べる人。僕、食べる人」(ハウス食品工業、1975年)の時代は、多くの媒体を巻き込み、時間をかけて議論が深まったが、今は異質な公共圏で議論が行われている。
弁護士の緑川由香氏は、日本国憲法における「表現の自由」からメディア表現について考察した。憲法21条によれば、「集会、結社及び言論、出版、その他一切の表現の自由」は国民の一人ひとりに最大限保障される。民主主義社会では個々の権利の尊重が大前提となるため、他者との衝突が生じた際は、それぞれの権利が最大限に尊重されるべく、調整や法による制限が加えられる。
しかし現在、一般企業において経営リスクをともなう重要な性差別と捉えられるセクハラやパワハラも、バラエティ番組などでは“演出”とみなされがちだ。本来ならば、作り手と受け手が表現の自由を行使し合い、双方向に議論していくことで異なる価値観を認め合うことが必要なのではないだろうか。
“マイノリティー”とはだれか
登壇者8名の発表を受けたディスカッションパートでは、多様性に配慮した表現についての話題から、「マイノリティーとは誰か」を探る議論に発展した。いわゆる男性社会では女性の不在、またその多様性のなさが課題になっている。小島氏は「実は居心地の悪さを感じる男性も多いのではないか」と指摘。一方で性差別的な志向をもつ女性もおり、性別ではなくジェンダー意識こそが人を隔てていると述べた。
これを受けて羽生氏は、50代の中間管理職の男性も、大勢の若手女性社員たちのなかに1人で入ると自分の意見を言いにくくなるとして、マジョリティーとマイノリティーの交換可能性を示唆。加藤氏は、ステレオタイプな性的役割が男性差別にもなりうると指摘した。
質疑応答では、ユニチャーム「ムーニー」のウェブCMをめぐり、実際に「対話」が生まれる場面もあった。
同動画を肯定的に受け止め、どこが問題点なのかわからないと話した質疑者の男性に対して、竹下氏は「一瞬、映るパートナーが育児参加しないことに批判があった」、小島氏は「『その時間が、いつか宝物になる』という締めのメッセージが『だから我慢しろ』という抑圧に変わり、女性たちを苦しめた」と説明。
このやりとりについて、別の質疑者からは、勇気を出して何が問題なのかと聞くこと、それに丁寧に回答することを積み重ね、対話していく重要性を再確認できたという意見が挙がった。