第5回メディアと表現について考えるシンポジウム「わたしが声を上げるとき」

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2019年5月18日、「第5回メディアと表現について考えるシンポジウム『わたしが声を上げるとき』」が、東京大学福武ホール地下2F 福武ラーニングシアターにて開催された。

登壇者は、ウ・ナリ氏(キュカ)、小島慶子氏(エッセイスト)、武田砂鉄氏(ライター)、田中東子氏(大妻女子大学)、山本和奈氏(Voice Up Japan)。司会は山本恵子氏(NHK)が務め、市民の声を社会に届けるために何が必要なのかが議論された。

社会で、メディアで軽視される若い女性たち

 2019年1月、アイドルグループNGT48の山口真帆が、自宅玄関先でファンから暴行を受けていたことを告発した。それをNHKなどの主要メディアが報じたところ、翌日のNGT48の公演で山口本人が騒動を謝罪し、炎上した。

ライターの武田砂鉄氏は、アイドルなど若い女性タレントが理不尽な扱いを受けたことを問題視する発言をすると、「女性の味方」という見方をされると述べる。同事件ならば、責任者ではなく被害者本人が謝罪を強いられたことが問題であるはずなのに、なぜか「男性が女性の見方をしている」と論点をずらされるという。

日本社会は、若い女性を軽視することに慣れすぎている。例えば、女性アイドルの「恋愛禁止」は人権侵害であり、結婚報道の際の「なお妊娠はしていない模様」という表現も本来は不必要だ。しかし、初めは違和感のある表現でも、メディアがくりかえしするうちに感覚は麻痺し、やがて自明の理と化してしまう。

 ジェンダー問題を中心に“声を上げること”を支援するVoice Up Japanの代表であり、国際基督教大学の一学生でもある山本和奈氏は、「週刊SPA!」 (12月25日号)に掲載された「ヤレる女子大学生RANKING」に対する抗議運動を起こし、5万筆以上の署名を集めた。その動機は、女性を性的対象化する視点に性犯罪を招く可能性があると感じたこと、「女子大学生」に対する性的なレッテルの付与について当事者として疑問を感じたことにあった。

山本氏は同誌に、廃刊などの措置で問題をうやむやにするのではなく、対話により問題点を理解し、誌面の編集方針を変更するよう求めた。編集部との話し合いでは、編集部内のジェンダー観だけでなく、周囲が声を上げにくいタテ社会的な制作体制にも問題があったことがわかった。

当事者が声を上げることの重要性と難しさ

キュカCEOのウ・ナリ氏が提供する「QCCCA」は、ハラスメントやDV、差別など周囲には言いづらい悩みを匿名で打ち明けあえるウェブサービスだ。その立ち上げの背景には、自身が管理職として勤務するヤフーで、部下からのセクハラ被害の訴えを社内に相談するたびに「仕方ない」「よくあること」と片付けられたことがあるという。また、自身の娘が学校でわいせつな行為を受け、教師に被害を訴えたところ、適切な対応で救われたという経験もきっかけとなった。

ウ氏は、声を上げる行為が難しいのは、(1)組織などで立場が脅かされることへの危惧、(2)二次バッシングや状況が悪化することへの恐怖心、(3)何を話しても変わらないという無力感が原因だと分析する。そのため同サービスでは、悩みを匿名性すると同時に、ユーザーが「応援されている」「共感されている」と感じられる仕組みを設計。バッシングをユーザーの目に触れさせない工夫により、安心して悩みを打ち明けられるコミュニティー作りにつなげている。

また集まった悩みのデータは、社会課題を解決する糸口にするため、メディアへ発信したり、しかるべき企業、機関へ提出したりするという。声を上げることには困難がつきまとうが、その声はだれかを励まし、力になるのだと、ウ氏は強調した。

 メディアとジェンダーについて研究する大妻女子大学の田中東子氏は、当事者が当事者ゆえに声を上げられない理由とその背景を解説した。前出の「週刊SPA!」内で「ヤレる女子大学生RANKING」に挙げられた大妻大学の学生たちに対する聞き取りによれば、(1)記事だけでなく、常日頃から同学の学生が「女子大生」という記号で“ヤレる女”扱いをされて口惜しさを感じていること、(2)当事者が声を上げても響かなかったであろう同記事の問題点が、山本氏ら非当事者のおかげで社会に届いたという感謝があること、(3)傷つけられるのではと想像し、その恐怖心で沈黙してしまっていることが浮き彫りになった。

 世界的に個人主義的イデオロギーが極度に進展した現在、自己責任の風潮と相互扶助への嫌悪感は高まっている。さらに封建的かつ同調圧力の強い日本社会では、より声は上げづらい。そのため田中氏は、当事者だけでなく支援者が声を上げることも重要だと指摘。市民の声が状況の改善を呼ぶ事例は確かに増加しており、メディアはそうした成功体験を積極的に広めていくべきとした。

トラブルを忌避するための沈黙と我慢

 日本社会では、異を唱えることが“輪を乱す”とタブー視されがちだ。2019年5月、「かんさい情報ネットten.」(読売テレビ系)で、性的マイノリティーに対する侮蔑的な取材を受け、スタジオにいた作家の若一光司が「人権侵害だ」と激怒し、その場が凍り付く様子が放送された。

元アナウンサーでエッセイストの小島慶子氏は、この放送で、「差別や偏見、暴力的な行為に対する批判はいけないものだ」というメッセージが伝わってしまったと批判。加えて武田氏は、翌日の謝罪の場面で女性アナウンサーが中心に立たされるなど、不適切な取材を指示した側の責任が問われない構造を問題視した。

 意見を表明することで社会的な立場が脅かされかねない日本社会では、どのように声を上げればいいのだろうか。山本氏は、「週刊SPA!」をめぐる一件を振り返り、ジェンダーの問題を男女の対立に帰結させなかったこと、バッシングがあっても弱音を吐ける支援者の存在を信じたことの2点が重要だったと述べる。

 ことジェンダーにまつわる問題は、女性の/男性の問題にすり替えられやすい。メディアもまた、女性が痴漢に遭ったニュースが流れれば「男性も痴漢えん罪に苦しめられている」、東京医科大学で女性や浪人生に特典差別があったと報じられれば「同じ女性である現役女性医師の65%が理解を示している」と我慢を強い、なかったことにしてしまう。

男性にも、誰かとの比較でつらさを紛らわす傾向はある。先の「週刊SPA!」は30~40代の男性サラリーマンをターゲットとした雑誌だが、一流企業に務めていたが独立して大失敗した人を取り上げた「転落人生」「絶望人生」といった企画が読者に支持されるという。毎日つらい気持ちで通勤している読者が、会社の歯車として働く自分を肯定し、安心できるからだ。武田氏はこうしたビジネスのあり方は非常に病的だと指摘した。

小島氏は、精神保健福祉士の斉藤章佳の言葉を引き、日本社会は「男尊女卑依存症社会」だとする。男女ともに自らが生きる際の苦しさを紛らわすために、「男だから/女だから仕方ない」と男尊女卑に逃げている。小島氏は、メディアはそれを認め、さまざまな立場の意見を聞き、男尊女卑に依拠しない生き方を肯定していくべきではないかと問題提起した。

メディアが、市民が意見を表明する意味とは

 中立公正があるべき姿とされるメディアでは、両論併記など異なる立場の意見を提示しようとしがちだ。しかし田中氏は、価値観の多様化したいまの日本社会でメディアが生き残るためには、目指すべき未来のためにどんな価値観に寄り添うのかを真剣に考え、選択していくことが必要なのではないかと述べる。

問題意識を共有するには、無関心層の知識不足を解消する必要がある。その意味で、メディアも個々の市民、自らの価値観を押しつけるのではなく、なぜそれを選択したのか丁寧に説明し、対話する姿勢をもつべきではないだろうか。

 ウ氏は、韓国には以前から、民主主義に則り市民が声を上げて状況を改善してきたことに言及。日本でも、そうした成功体験が世の中の変容を呼ぶのではないかと示唆しつつ、顔や名前を伏せた形であっても声を上げることがその一歩になるとする。

SNSを中心としたネットの言論空間では、スピーディーに議題が移り変わってしまう。田中氏は、社会の変容を促すには、一つひとつの問題に対して踏みとどまってじっくり議論する場を作り直していく必要性があると結論づけた。