「BPO放送と人権等権利に関する委員会決定第79号『ローカル深夜番組女性出演者からの申し立て』に関する委員会決定」に関するMeDiの意見

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<事案の概要>

あいテレビ(愛媛県)の深夜バラエティ番組『鶴ツル』(2016年4月〜2022年3月放送)に出演していた女性フリーアナウンサーが、番組内での他の出演者からの度重なる下ネタや性的な言動によって羞恥心を抱かせられ、そのような番組を放送されたことでイメージが損なわれたとして、人権侵害を受け、放送倫理上の問題が生じたと申し立てた。

これに対し、BPO放送と人権等権利に関する委員会は、「審理の結果、人権侵害は認められず、放送倫理上の問題もあるとまでは言えない」と判断。

この委員会決定に、東京大学大学院情報学環教授で同委員会の元委員である林香里教授をはじめ、MeDiメンバー全員は強く反対し、以下のよう意見を表明する。

◎ BPO放送と人権等権利に関する委員会決定第79号『ローカル深夜番組女性出演者からの申し立て』に関する委員会決定(2023年7月)
https://www.bpo.gr.jp/?p=11697

◎ 委員会決定第79号に関するBPO放送人権委員会の意見交換会(2024年)

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<MeDi座長 林香里教授の意見書>

BPO放送人権委員会への意見書

東京大学大学院情報学環教授 林香里
2023年8月18日

この度、BPO放送と人権等権利に関する委員会(放送人権委員会)決定第79号「ローカル深夜番組女性出演者からの申し立て」の委員会決定を読ませていただきました。

 私はこの委員会見解内容に大きな違和感、ならびに驚きを覚えました。この見解は、放送人権委員会の任務である「放送による人権侵害の被害を救済する」ことを、あたかも放棄しているに等しい判断であると考えます。以下、疑問に思ったことを書きました。

1.<全体の議論の枠組み> まずは番組全体の枠組みについて問題提起をしたいと思います。本件番組は「お酒を飲みながら出演者が言葉を交わす深夜バラエティー番組」となっており、委員会の見解ではそのことをもってして「大目に見る」という議論が目に付きました。免許制で公共性を担う放送局は、番組制作の際、たとえ「深夜のバラエティー番組」で、「酒と下ネタを売り」にするような番組を制作するとしても、いや、あえてそのような設定をするならば、放送局側、出演者、演出の側に、通常とは異なる一層の規律と細心の注意を払う責務があると考えます。「見解」では、「番組中のやりとりは、そもそもの設定からお酒を飲みながらの羽目を外した会話であって、視聴者もそのようなやりとりを真に受けることはないから、悪質といった評価も妥当しないとする委員の意見もあった」とありますが、「放送人権委員会」においてそのような意見が出たことは極めて遺憾であり、非常に憂慮しております。男性優位の日本社会において、とりわけ職場において仕事とプライベートが混然一体となった飲酒慣習は、多くの女性をはじめ、性的マイノリティを苦しめ、傷つけ、ときに命にかかわる危険な状況に追い込んできたことはご承知の通りかと思います。公共性を制度趣旨とする放送事業の倫理を議論する際に、委員の間に飲酒に伴う危険性への認識が欠如していることを憂慮しております。

2.<性表現と表現の自由の問題について> セクシュアリティは、性や性欲という人類共通の話題であり、したがってそのパロディや冗談を通して人類共通の笑いを誘うことが多いのは確かです。また、性に関する表現は、人間の根源的な性欲や性という問題に触れることから、強烈な皮肉となり、ラディカルな批判力も発揮する、重要な表現ジャンルだと考えます。その点について私も異論はなく、したがって、性表現を萎縮させるような判断を下すことに「謙抑的」になるという委員会の方針に賛同いたします。しかし、性表現は諸刃の剣であり、とりわけ不均衡な社会的地位の者たち、異なるジェンダーの間でこのテーマを扱う場合は、表現のプロフェッショナルとして緊張感をもち、細心の注意を払うべきだと考えます。とくに、日本のように男女間のジェンダーギャップが大きく、男性のほうに権力や経済力が集中している社会においては、性表現について殊更留意する必要があります。そのような前提でこの番組に目を移すならば、この番組ではそういった性表現の可能性と限界に挑戦する緊張感は微塵も感じられません。むしろ、深夜番組という気の緩みから創意工夫のない「下ネタ」を連発し、内輪の笑いを安易に誘う姿勢が見えます。見解には、「冗談としてであれ、言動が繰り返されることによって、冗談を言われる側は、そういった冗談を投げかけてもよい人物であるかのように役割が位置づけられ、 そういった立場を背負わされることになる」と、本件番組におけるこの間の申立人の位置づけが説明されていますが、このような状況こそ、ほかでもなく、いじめやハラスメントの側面を示唆しています。「下ネタ」を使う際、出演者でただ一人の女性である申立人の立場に配慮し、緊張感をもって対応すべきところ、「回を重ねるごとに出演者間で相手に対して「ここまで言っても許されるだろう」と考える範囲が広がっていき、申立人に対して向けられる下ネタや性的な言動なども、冗談として言う分には許されると他の出演者が考える範囲が次第に広がっていいたように思われる」と、放送局側の甘えと悪ノリの姿勢が読み取れます。しかしながら、委員会はこのような態度の放送局側に対して、民主主義の崇高な価値である「表現の自由」の議論を持ち出し、「放送倫理上問題なし」と判断を下し、申し立てた被害者の救済を優先しなかったことに対して、強い危機感を覚えます。この見解はおそらく「放送局(の男性たち)の側の悪ノリの自由」を守ったことになりますが、放送現場の女性やマイノリティたちは、この見解によって改めて無力感を感じ、沈黙を強いられ、萎縮させられ、声を奪われました。

3.<二次被害の問題>本申し立てにおいて、申立人はいわゆる「二次被害」を訴えていることにも言及したく思います。申立人が申し立てに至った状況は、「平穏を失い、信用を失い、仕事を失い、収入を失った。本件放送に映る自分の姿を見ると「テレビを包丁で突き刺してやろうかと思うほど、自分の姿が嫌で嫌でたまらない」(p.31)という。業界でのキャリアも含め多くを諦ながら、申立てに至った。」とありますが、結局、放送人権委員会は、このように、申立人が放送中にハラスメントを受けるだけでなく、仕事も収入も失うという二次被害を受けている状況を知りながらも、当該番組には「人権侵害は認められず、放送倫理上の問題があるとまでは言えない」という結論を出しました。すなわち、今後、放送局において同様のケースが起こって申し立てたとしても、BPOに訴えることは、「訴え損」となり、放送制作現場は女性や性的マイノリティにとっては極めて危険で有害な職場であり続けることを追認したことになります。さらに、今回、こうした申立をした本人に対して、放送局側が「ここをフックに、 T(ベテラン芸能人)さんを訴えてお金がほしいのか」というような発言をしていたことも看過できません。この発言は、フリーアナウンサーという弱い立場にもかかわらず、勇気をもって訴えた行為を貶めるセカンドレイプとも言える発言で、ハラスメントの加害者が使う常套句でもあります。これだけをもってしても、本件番組制作の現場の倫理観、価値観の問題性を如実に表しているとさえ言えます。

4.<無視された性暴力的行為> 委員会の決定を読むと、あいテレビは、審理に際して、上記のように申立人に対して侮辱するような発言をするだけでなく、BPOに対して「「下品」「卑わい」「嫌悪」といった基準は抽象的であって放送への萎縮をもたらしかねず、そもそも判断には慎重であるべき」(國森委員の少数意見より)と付言までするほど無反省無自覚で、敵対的な姿勢さえ示していたことが見てとれます。しかしながら、申立人の被害は非常に具体的なものでした。補足意見、少数意見によると、申立てまでの1年間という審理期間の対象外となる放送分では、マイクトラブルでつけ直すために退席しようとした申立人に対してベテラン芸能人が「ここでやってよ」と言い、手伝うかに見せかけておいて衣装のファスナーを下ろし背中を露わにさせ、その際、スタッフが再び用意したカメラを手にベテラン芸能人が撮影まで行い、背中の接写映像を含め、その模様も放送されたとありました。このような行為が描写通りだとすると、それは性加害・性暴力とも言える行為であり、看過できるものではありません。それは「審理期間対象外」だから考慮されなかったということのようですが、申立に至る極めて重要な文脈です。このことが補足意見、少数意見でしか言及されていなかったことも非常に残念なことです。

5.<放送局に甘く、申立人に厳しい委員会> 放送人権委員会は、被害を受けていた申立人に対しては「深刻に悩んでいることが伝わるようにもっと前の時期に相談をしていたら、あいテレビは相応の対応をしていたと推測できる」(p.9)とあるとおり、申立人のほうにより主体的にはっきりと悩みを伝えるべきだったと言及しています。このほかにも、申立人が「メールやブログには本件番組に対する申立人の積極性や好意的評価が窺われる以上、本件番組が申立人の意に反していたという申立人の真意に放送局が気づくのは難しかった。」(p.10)とも述べ、放送局が主体的に察知することの難しさを挙げて「2021年11月の出来事より前にあいテレビが気づいていたとは言えず、また気づかなかったことに過失があったとは言えない」(p.11)という判断を下しました。つまり、委員会は放送局に対しては本件放送のさまざまな問題点を自ら主体的に考え、気付くべきだということを要求していません。その一方で、申立人に対しては放送局に同調するような姿勢を示しているが、そうではなく相談すべきだった、もっと相手方にはっきりと伝えるべきだったという要求をするのです。また、委員会は、出演するベテラン芸能人が、下ネタを控えるようにあいテレビから言われた後でも、それをネタとして「来年は改心して下ネタを少し控えようとおもいますけど、もし控えたときにつまんない、元に戻してくれというんだったら一筆書いてください。そのとおりにいたしますから」と笑いながら伝えたとあります。しかし、委員会はそのことについても、「コメディアンであるタレント出演者なりに、ジョークを交えつつ下ネタ決別宣言を行ったもの」(p.15)として額面通りには受けとらなくてよい、だから「人権侵害があったと評価することはできないと考える」としています。つまり、申立人がたった一人で、全人格をもってテレビ局に対して反省を要求していることに対して、委員会側は、もっと早期に、しかもはっきりと訴えるべきだったと冷淡な態度を貫くのに比べて、局側とタレント側の言い分には、むしろ存分に解釈の余地を与えて情状酌量をしている—私はこのような不条理な要求に驚きを禁じえません。そのことは、たとえば、ベテラン芸能人が申立人をからかうような発言をした場合、申立人を守る観点から収録を途中で即座にストップするなどの措置についても、「リアルタイムで推移していくやりとりを目の前にしながら、瞬時に対応することは容易ではなかった」として、放送局側に配慮する姿勢にも表れています。弱い一個人に対しては、まさに放送業界全体を相手どって明確に主張するようにと強い要求をする一方で、強い会社やベテラン芸人には最大限の情状酌量を与えている委員会のこの姿勢はどこから来るのでしょうか。

6.<そもそも、訴え出ることができる職場だったのか>上記のように放送業界(BPO人権委員会を含む)は、セクシュアルハラスメントを相談できる雰囲気がないように見受けられます。したがって申立人が「外部からは悩みが決してわからないようにしていた」と述べているように、仕事を続けるためにはその場に適応しなければならないと思い込まされる状況が出来上がっていたのではないでしょうか。決定では「出演者が自分の思いをあいテレビに伝える機会も少なかったと考えられ、このことが本件のような問題が生じた」(p.10)とありますが、ハラスメントは、被害者が「周りにいる人は誰も助けてくれない」と考え、問題を一人で抱え込むことによって、いっそう被害が深刻化します。また、たとえ「相談窓口」のみがつくられたとしても、問題を自由に発言できる「風土」が醸成されていなければなりません。このテレビ局にそれがあったかといえば大いに疑問が残ります。さらに悪いことに、今回の委員会決定によって、マイノリティが自由にものを言える状況は一層悪化したと思います。このような過酷な決定が出てしまった以上、今後どのような人が勇気を出し、前にでて、同様の問題を世間に訴え出ることができるのでしょうか。ただでさえ、女性の地位が低い放送業界において、委員会はどこまで女性やマイノリティの側に責任を負わせるのでしょうか。「表現の自由」は、いったいだれのためのものなのでしょうか。ハラスメントの追及が被害者の側の、身を賭した主体的行動を前提とすること、そして訴え出ても認められないばかりか、揶揄され、無視され、そして認定もされないことを覚悟しなくてはならないことについて、委員会は今一度、思いをいたしてほしいと思います。

7.<「マイクロアグレッション」という概念> 委員会の判断では、「もし、申立人が深刻に悩んでいることが伝わるようにあいテレビにもっと前の時期に相談をしていたら、あいテレビは相応の対応をしていたと推測できる。」(p.9)とありますが、委員会はどのような根拠をもとにして放送局側が「相応の対応をしていたと推測」しているのでしょうか。というのも、申立人が降板を申し入れた後も、申立人の容姿などを揶揄して出演者とスタッフが大笑いしたといい、それらがたとえ編集ですべてカットされたとしても、本人は自らの立場を改めて思い知って傷ついたわけで、それは「相応の対応」であるはずもなく、実際に守られていなかったわけです。また、あいテレビは、申立人が長年悩んできたことを知ってすぐに本件番組を打ち切る判断をしていることについて、委員会は「真摯な対応」と評価していますが、降板を伝えた後の態度、そして今回の審理の様子を総合すると、「打ち切り」が真摯な対応とするのは放送局側にあまりにも甘い判断ではないでしょうか。「打ち切り」ということは、問題を追及することなく事なかれを助長する、もっとも安易な対応ではないでしょうか。申立人の個人名を言及せずとも、この番組のあり方を反省する術はいくつもあったはずですが、そのような対応には触れられていません。また、繰り返しになりますが、もっと早く相談していればというのは、第三者による後付け的な言い分です。これについては、近年「マイクロアグレッション」という概念で説明されています。「マイクロアグレッション」とは、小さな、そして悪気もないような偏見に基づく人権侵害が日常の無意識の中で静かに進行し、人権侵害された側は異議申し立てをするチャンスもなく絶望に追いやられます。また、こうしたマイクロアグレッションは、やがては特定のグループに対しての集団的な差別やヘイトスピーチにつながっていくことも指摘されています。近年、とくに、日本のような一見リベラルな先進諸国では、あからさまな差別よりは、こうした「マイクロアグレッション」こそが人権を蝕み、差別や人権侵害の温床であり原因となっているとされています[1]。今回の委員会決定は、こうしたハラスメントに関する知見に追いついていないように思います。

8.<女性アナウンサーという職業への軽視> 日本の放送業界の特徴の一つとして、女性アナウンサーという一大部門があります。彼女たちの多くはフリーランスで、オーディションを受けるなどして日本全国のさまざまな職場を転々としてキャリアアップをしていきます。放送局が終身雇用の会社員から成り立っているのに比して、この部門は人脈と実力がモノをいう激しい競争の世界です。また、この世界では、放送局がだれを起用するかについて、生殺与奪の権を握っています。したがって、申立人がこのような申し立てをすることは、当該テレビ局に対してだけでなく、業界全体に対する異議申し立てとなります。以上のような業界構造から見ると、この決定は申立人のみの個別ケースではなく、放送事業全体のあり方に影響力をもつことをまずは確認したく思います。このような産業全体の序列構造の中で、放送局側は申立人を「出演者」とはみなしていなかったように見受けられます。「回を重ねるごとに出演者間で相手に対して「ここまで言っても許されるだろう」と考える範囲が広がっていき、申立人に対して向けられる下ネタや性的な言動なども、冗談として言う分には許されると他の出演者が考える範囲が次第に広がっていいたように思われる。」(p.17)という委員会の見解にもある通り、番組の現場では、申立人を「出演者」から除外して、ベテラン芸能人ともう一人の出演者を中心にものごとを進めていたように見受けられます。水野委員の補足意見には、「ヒアリングによれば、 僧侶である別の出演者に対しては、番組内での他者の発言が失礼にあたらないか、確認することがあったという」とあり、このことからも、おそらく、テレビ局では、申立人のみならず、女性アナウンサーという仕事は、内容に関して主体的に意見する立場になく、「メイン(男性)出演者」の引き立て役という極めて古典的な性別役割分業と認識を当然のこととして受け止めていたのではないでしょうか。委員会は「表現の自由」という価値を持ち出してベテラン芸能人や局を守りますが、女性アナウンサーや放送局で働く女性およびマイノリティが「表現の自由」を奪われた職業であり、自由に歯止めをかけられていると言う認識が薄いのです。今回、唯一、ハラスメント等による人権侵害ありと少数意見を書いた國森委員は、「審理過程を通して、あいテレビは申立人の主張をことごとく否定してきた」として、放送局側が申立人のことを指して「思ったことが口に出るタイプの子なんですよ」「中に溜められる人じゃないんです」と言っていたと言及しています。こうした発言は、男性の芸能人やスタッフが「思ったことを言う」「中に溜める」と言うのとはまた別の前提とニュアンスがあることを、委員会は考慮したでしょうか。委員会が局やベテラン芸能人の立場に立って、その座標軸から物事を考えている限り、女性アナウンサーから見える職場の景色は永遠に見えないままであり続けると思います。不平等な権力の磁場における前時代的な「下ネタ」による女性アナウンサーへの侮辱的扱いが表現の自由の一部であるという主張は、まさに時代遅れの男性優位思想を放置するものです。BPOのこのような見解が社会全体に与えるネガティブな影響を非常に憂慮しています。

9.最後に、放送人権委員会がこの申立は制作現場における構造上の問題だと指摘している点について言及いたします。「この問題は、過去の特定の言動が問題であったというより、前述のとおり本件番組が回を重ねていくことで事態が次第に深刻化していったことに起因していると考えられ、制作現場における構造上の問題とも言えることから、あいテレビの放送倫理上の問題として取り上げるより、後述する要望の問題として取り上げるのが妥当と考える。」(p.18)とあり、制作現場の構造上の問題に起因するところが大きく、その点について考えるべきと指摘されておられます。実際、「本件番組のスタッフは、約10名のうち女性は1名のみであることが通常であった。また、考査担当は4名いたが全員男性であった。そのような現場や考査の組織的な人的構成でジェンダーバランスがとれていれば、下ネタや性的な言動が本件番組ほどになされることはなく、とりわけ、申立人に対して向けられる性的な言動への歯止めもかかったのではないか。さらには、下ネタを特集した総集編を制作するような番組作りもされかった可能性がある」(p.20)との見解も示しています。しかし、そのような業界構造だからといって、この放送番組でのセクシュアルハラスメント問題が免罪されるわけではありません。日本社会では男性が圧倒的に優位な職場構造が蔓延しています。わずかな希望は、こうしたことを受けて、多くの業界がジェンダーバイアスに満ちた組織構造、職場環境の改善にさまざまな施策を実行し、改善を試みております。しかし、そうした業界でも、だからといって、その職場から出てくる個別のセクシュアルハラスメントやパワーハラスメントのケースを「問題なし」と判断するかといえば、そうではありません。むしろ、こうした構造の変革のためには、問題が繰り返されないように、地道に個別ケースを問題ありとして取り上げていかなくてはなりません。構造の問題を指摘することと、個別の問題を追及することとは両輪でなければなりません。ましてや、申立人は、特定の個人を告発しているのではなく、放送局の姿勢について問題提起しているのです。メディアの報道では、曽我部委員長は、「番組で問題はあったが、あてはまる法律がなかったという認識」と説明されたとありましたが、まさに法律でカバーできないところをBPOはカバーする組織だと理解しています。決定文によると、申立人とあいテレビの間では、そもそも出演契約書等も取り交わされていなかったとのこと。そこからも、労働者の権利を軽んじる姿勢が見て取れます。

以上、本決定は、メディア業界のジェンダー不平等なシステム、およびその不平等を利用した有害な職場環境を間接的に擁護する問題含みのものであると考えます。ついては決定をこのまま放置せず、BPO人権委員会から放送事業者に対して具体的な追加提言、および対策を出して問題提起していただくことを切に望みます。


[1] デラルド・ウィン・スー『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション―人種、ジェンダー、性的指向:マイノリティに向けられる無意識の差別』2020年。

<MeDiメンバーの意見> (五十音順)

  • 李美淑(大妻女子大学 准教授)

林香里教授の意見書に全面的に賛同します。

「放送人権委員会」は「放送によって名誉などの人権侵害」を受けたという申し立てを審理し、「人権被害があったかどうか」「放送倫理上の問題があったかどうか」を判断する、独立的な組織であるはずだが、今回の判断は「人権侵害」に対しても、「放送倫理」においても間違った判断を下している。このような判断を、訴えられた「放送局」ではなく「放送人権委員会」が行ったことに驚きを禁じ得ない。

特に、ジェンダー不均衡な権力構図のなかで、契約書もなく仕事させられた、女性のフリーアナウンサーの立場に対する没理解の上、男性優位な視点で制作し続けた番組側・放送局側には大変な「配慮」を行い、まさに不均衡な権力構図を固めていることに大きな失望を抱いた。地位を利用した性暴力が社会問題になって久しいが、「放送人権委員会」がそれに付いていけてない、あるいは逆方向に行っているような気がしてならない。

また、「放送」の「倫理」において「表現の自由」は、私人の「表現の自由」とは異なり、「公共性」のために求められるものと考えられる。そこで、「酒と下ネタを売り」にする番組という設定、女性の出演者を「モノ」と扱うような設定や表現、出演者の尊厳を傷つくような行為らが「放送倫理上問題なし」と判断されていいのだろうか。放送倫理として守るべきものがなんなのか。人権や公共性をないがしろにする「表現の自由」なのか、人権や公共性という普遍的な価値のための「表現の自由」なのか、もう一度見直してほしい。

  • 小島慶子(エッセイスト、東京大学大学院情報学環客員研究員)

林香里氏の意見書に賛同する。

放送人権委員会の見解では、「本件番組中の出演者の言動は、あくまでも番組内のこととして、視聴者に 見られることを意識したやりとりである。そのような特殊な場面における言動である点において、日常の職場などにおける言動と異なった性質を有する」としている。

だが出演業を専らとする者にとっては、カメラの前も日常的な職場である。収録や放送と無関係の場では許されない問題発言などが、番組中の視聴者を意識した場面でなら許されるという見解に説得力はない。出演を本業とする芸能従事者も一人の働く人間であり、他の職業に就いている人々と同様に、尊厳を保ち安全な環境で働く権利がある。「番組内は特殊」という認識は、テレビの黄金期には番組制作者と視聴者の間で共有されていたのかもしれないが、現在はそうではない。

同委員会は「申立人の『演技』が優れていたために外部からはわからなかった」「申立人の立ちふるまいは、プロフェッショナルとして見事だったのだ。彼女の辛苦に気づけなかった放送局だけを、安易に責めることはできない」と述べている。立場の弱さと職務遂行の責任感から、長年にわたって苦痛を隠して心身に影響が及ぶに至った申立人の苦しみを矮小化し、悩みのない様子が自然体であったかのように印象付けかねない見解である。

同委員会決定の少数意見の中には、自身が申立人の心痛に疑念を抱いていたことを認めているものがある。スポーツ紙や週刊誌などのネット記事では、女性アナウンサーを計算高いなどと印象付け、女性嫌悪を煽るような報じ方が常態化している。各委員は申立人の職業に対する先入観や、非正規雇用者を軽視する気持ちがなかっただろうか。どのようなジェンダーの人でも、日本社会で長く働いているうちに男尊女卑的な視点や正規・非正規の身分制に慣れてしまう可能性がある。メディアが社会に与える影響について真剣に討議する場であることを期待されている放送倫理委員会では、無意識の偏見の再生産に与しないよう、敏感であってほしい。

  • 治部れんげ(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 准教授)

林氏のコメントに賛成する。

 申立人が問題視した番組内の発言・表現は2024年時点の常識に照らせば、一般視聴者に羞恥心を抱かせて余りある低俗な内容である。近年、多くの職場でハラスメント対策が進む中で、10年前であれば許容された発言がハラスメントと認定されるようになっている。報告書に記された番組内の表現は、まっとうな雇用主であれば、言い訳の余地なく「セクシャル・ハラスメント」とみなされるだろう。

このような番組について、人権や放送倫理上の問題がない、とした委員会の決定は、現代の常識からは、かけ離れていると感じた。また、報告書を読み、放送局の責任を過度に狭く捉える論理構成は、刑事裁判の責任概念に照らせば妥当であろうが、倫理を問う場にふさわしいとは思えなかった。

最後に、委員会決定について少数意見を述べた委員が3名とも男性であった(男性名であった)ことが非常に気にかかる。テレビ局の制作現場、意思決定層のジェンダーアンバランスや申立人の人権について真摯な共感を寄せたのは男性委員のみだったのだろうか。

もし、女性委員が本件について申立人の苦痛に想像が及ばなかったのだとすれば、意思決定層に女性がいることの意義とは何なのか、重い問いが突きつけられている。

  • 白河桃子(相模女子大学大学院特任教授、ジャーナリスト)

林教授の意見書に賛同いたします。 

この度のBPOの結論は大変残念です。「放送倫理」および「人権侵害」のどちらにおいても、BPOの結論は、昭和でも平成でもない今の時代にふさわしいものとはとても思えません。

特に「人権侵害」については、申立人はフリーランスであり、女性であるという二重に脆弱な立場です。真摯な訴えにもかかわらず、「放送局は認識していなかった」というBPOの見解は、BPOは「脆弱な立場」の人を守れないという印象しか与えません。これでは後に続く勇気ある申立を阻害し、いつまでも放送業界の環境が「社会とズレたまま」取り残されることを意味します。

申立人の観点にたてば、放送局という圧倒的な権力に1人で立ち向かうことは非常にハードルが高いということは想像に難くありません。勇気をもって「やめてほしい」と伝えたことも、放送局サイドにはしっかりと受け止めてはもらえなかった。まずは、フリーランスの方の声を受け止める、直属の上司以外の仕組みがなかったこと自体も問題です。(施行が予定されているフリーランス新法では「フリーランスへのハラスメント」に対して、発注者は「相談・苦情に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備」をすることが措置義務とされます」)

番組を降板したのちも、BPOに申立することは、業界にいられなくなる覚悟ではと思いました。脆弱な立場の人を救済することが人権委員会の役割だと思いますが、そこでも救済されない場合は、どうすればいいのか?

韓国は2017年ごろからの#metoo運動のおかげで、映像業界の現場は、基準契約やハラスメントへの意識向上など、かなり仕組みが変化しています。「AFTER METOO」

という韓国映画には、身を切るような被害者の告発のバトンが次々と手渡され、社会が変わっていく様が描かれていました。この作品から「声を上げた人を1人にしないこと」がいかに大事なのか学びました。申立人の方を「1人にしない」ためにも、多くの人にこの問題に関心を持っていただきたいと思います。

  • 田中東子(東京大学大学院情報学環 教授)

林先生の意見書に全面的に賛同いたします。また、BPOのHPに掲載された委員会決定を拝見し、ジャニー喜多川やその他の放送局をめぐる性暴力の告発を受けてなお、このような決定を下したことに憤りを感じております。

今回、HPに掲載された委員会決定の概要において最も問題となるのは、「本件番組における性的な言動によって長年悩んできたという申立人の主張は真摯なものである。ただし、そのことに関連して放送局に責任が認められるためには、本件番組が申立人の意に反していたことに放送局が気づいていたか、あるいは気づかなかったことに過失が認められる必要がある。」という部分であると考えます。今回下された決定は、この部分を踏まえた上で、放送局が気づかなかったのだから過失は認められないというロジックになっています。しかし、この決定は、フリーランスという不安定雇用の一個人と放送局という大きな力を持った企業との間に横たわる、非対称的な権力関係をまったく考慮にいれることのない、社会正義と公平性の原則に完全に逆行する、時代遅れの判断に基づいていると考えられます。

性暴力の加害者と被害者の発言が社会の中で受け入れられる可能性/不可能性について、メディア研究者のバネット=ワイザーとヒンギスは「believability(信頼性)」という概念を用いて説明していますが、今回のBPOによる決定は、私たちの社会に埋め込まれた性暴力被害者による申し立てへの「信頼性のなさ」に易々と乗っかり、大きな権力を持った放送局による弱い立場の者たちへの無神経さ(=「気づかなかった」)に寄り添うという、「人権の擁護」を行う機関がもっともしてはならないものであったのではないでしょうか。

この決定の後に、このようなセクハラや性暴力の被害に合うかもしれない多くの女性たちのことを考え、委員会の決定についていまいちど検討していただくとともに、女性だけでなくその他にも弱い立場におかれた人たちの「人権」に寄り添う委員会となることを心から願っております。

  • 浜田敬子(ジャーナリスト)

林先生の意見書に全面的に賛同します。

このような番組の内容、制作体制、そして申し立てや相談があった時の局の体制にも大きな問題があり見直しが必要であることはもちろんですが、BPOの下した判断にも大きな懸念を持ちます。人権の救済という点を目的とした委員会だからこそ、委員会本来の目的に立ち返っていただきたいと強く望みます。

  • 藤田結子(社会学者、東京大学大学院情報学環 准教授)

林香里氏の意見書に賛同します。

日本社会では、非対称で不平等な男女の関係がそれに気づかないほど日常に深く浸透しているため、他の社会ではいじめやハラスメントとみなされるような行為や言動が「下ネタ」として通ってしまう状況があります。

本放送で表現された「下ネタ」は、日本社会で将来的に社会正義がいっそう実現されれば、多くの人々が人権上問題があると認識するような表現であると推測します。

「人権侵害は認められず、放送倫理上の問題があるとまでは言えない」という結論に関して、弱い立場にありながらも上記の点に対して権力を持つメディアを訴えた申立人が置かれた社会の不平等な構造や意識、そしてその結論が申立人と他の女性たちの今後の人生に及ぼす影響について検討し、よりよい方向で対応していただけるよう願います。

以上

選挙報道に関するメディアへの提言

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<衆議院選挙報道の課題>

 2021年10月に行われた衆議院選挙は、先に(2021年9月)行われた自民党総裁選に初めて女性議員が複数立候補したことで、男女比が5:5となり、今まで総裁選の論点になりにくかった選択的夫婦別姓や同性婚、LGBT理解促進法案などジェンダー関連の政策が注目された。さらに、「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」が施行されて初めての衆議院選挙でもあったことから、各メディアは政党や候補者へのアンケートで選択的夫婦別姓や同性婚などについて質問を設けたり、女性候補者の割合を報じたりしたが、女性議員の割合は9.7%と前回を下回る結果となった。

 「メディア表現とダイバーシティを抜本的に検討する会(MeDi)」では、研究者と選挙報道に携わった各社の記者が、今回の選挙報道についてジェンダーの観点から検討する機会を持った。記者からは「公平・中立」という原則の中で、女性議員やジェンダーなど個別の問題を報じるのは時間的な制約もあり掘り下げて報じるのが難しいという意見が出た。また、選挙報道は政治部が中心になって行うため、ジェンダーなど報道に多様性が反映しにくいといった組織の縦割りの問題も課題として挙げられた。これらの意見を通じて、政治部以外の記者が新たな視点から選挙報道の記事を書くことに障害があることがわかった。さらに、現状の選挙報道は、投票日当日の開票速報、当選確実をいかに速く伝えるか、何議席獲得したかといった勢力図に重心が置かれており、投票前に有権者が知りたい情報を本当に伝えているのか、といった問題も指摘された。一方でデジタルでは、他社と連携して若者や女性などターゲットを絞った記事やデータに基づく分析記事が発信されるなど、これまでの画一的な選挙報道とは異なる可能性を感じる取り組みも紹介された。

<提言>

●公示日スタートの選挙報道だけでなく年間を通じての報道を
選挙期間中だけでは伝えられる内容が限られるため普段の報道で女性議員が少ないことや政治や選挙がどう生活に関わってくるかなど、年間を通じて報道することが必要。
次の参院選に向けては特に「候補者男女均等法」を受けて、各政党がどう候補者の男女均等を実現するのか、候補者が決まる前に取材し報道を。

●政治部中心の選挙報道から他部との連携で多様性のある報道を
有権者の関心は多様になっており縦割りの組織、政治部だけでは、多様性を反映することは難しい。争点の設定、政党・候補者アンケート、そして報道についても、「政治は生活」の観点から他部と連携することが必要。新聞テレビを見ない世代が増えていることから、SNS、ネットメディアなどデジタル発信を強化し、有権者に届く報道を。

●報道する側のジェンダー平等を
多様性のある報道のためには報道する側(意思決定層にも)のジェンダー平等が不可欠。また、政治部以外の記者が政治について違う視点での記事を書くことも多様性を担保する。

●エビデンスのあるデータ分析など多角的な視点を
単に世論調査の結果や各党・候補者のアンケート結果を紹介するだけでなく、そのデータが意味することを専門家も交えて分析し伝える。例えば、投票行動の属性別の詳細な分析、SNS言論の分析、選出された議員の属性の隔たり(世襲議員の当選確率など)など、データを分析し、エビデンスを持って伝えることも、選挙報道として重要。また、選挙を「点」としてではなく、歴史的な流れや意味、世界的な動きについても紹介するなど、多角的な報道を。

●公職選挙法、および選挙制度の仕組みへの問題提起を
女性の政治家が増えない背景には「公認候補」を中心とする現職重視の伝統、さらには世界にも稀にみる短期間の「公示期間」による現職有利な仕組みなど、選挙制度そのものに起因することも多い。公職選挙法の問題点はかねてから指摘されてきたものの、ジェンダーとの関連で論じられてきたことは少なく、候補者クオータ制も含めて、普段からの問題提起や議論が必要であろう。

オリンピック報道に関するメディアへの提言

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<東京オリンピック・パラリンピックでのジェンダー表現をめぐる課題>

 今回の大会は、2021年2月の組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言をはじめ、開会式関係者による女性タレントの容姿蔑視、障害者へのいじめ、ホロコーストをコントにしていたことが明らかとなるなど、日本のジェンダー・人権意識の課題が「見える化」する機会となった。国際オリンピック委員会は『スポーツにおけるジェンダー平等、公平でインクルーシブな描写のための表象ガイドライン』を発表し、メディアに「ジェンダー平等で公正な描写」を求めた。また、今回の大会は、LGBTQを公表している選手の数が過去最多となり、トランスジェンダーの選手が生まれたときに割り当てられた性別とは別のカテゴリーで初めて参加した大会となったことから、『LGBTQ+ アスリートのメディアガイドライン』もまとめられた。

 MeDi(メディア表現とダイバーシティを抜本的に検討する会)では、研究者と報道に携わった実務者が集まり、今回の大会の報道について、ジェンダーの視点から検討する機会を持った。女性選手に対する「美しすぎる」「ママアスリート」といった外見や私生活に焦点が当てられたものや、テレビ番組で女子ボクシング選手に対して「女でも殴り合い、好きな人いるんだね」など、ジェンダーステレオタイプ(固定概念)からの発言もあった。

 その背景として、報道する側の体制が指摘された。スタジオ出演者のキャスターやゲストは女性が増えたが、実況はほとんど男性アナウンサーで、取材を担当するスポーツ担当の記者も男性が多い。また、そもそもオリンピックをどう伝えるかの意思決定層がほぼ男性、という伝える側の不均衡なジェンダーバランスは大きな課題といえる。

 また、オリンピックの歴史や開催の意義など、報道する人たちがオリンピック憲章を学んでおらず、国・地域ごとのメダルの数のランキングや、日本人が金メダルを取ったことだけを報道するなど、報道の在り方についても今後の報道に向け検証・議論が必要と考えられる。
以下、検討した内容から提言したい。

<提言>

● 報道に携わるメディア関係者はオリンピックの歴史や憲章、以下のガイドラインなどを学ぶ機会、研修を
「スポーツにおけるジェンダー平等、公平でインクルーシブな描写のための表象ガイドライン」「LGBTQ+ アスリートのメディアガイドライン」

● 報道・制作チームなど伝える側のリーダー、メンバーにジェンダー平等を 

● 多様な報道ができるよう、スポーツ部だけでなく他部と連携した発信を

● 今回の大会について「ジェンダー平等」の観点から検証を
報じた内容について、記事、写真、映像、取り上げられ方、表現など、コンテンツ全体がジェンダー平等の理念を踏まえた内容となっているか

● 大会後にジェンダーバランスについて検証できる仕組みづくりを